新城城址・新城の地名発祥の地  新城市字東入船 市・指定史跡
天正3年(1575年) 篠の戦い で功績を挙げた長篠城奥平貞昌 は、信長から信の一字を与えられて信昌と改名。 徳川家康 からは長女亀姫(後の盛徳院)を娶り、天正4年(1576年)9月、新城城を築城し、長篠城 から移り住んだ。 後にここが「新城」という地名の発祥の地となる。
慶長5年(1600年) 関ヶ原の戦い後、池田輝政 が姫路へ移ると共に新城は天領となるが、慶長11年(1606年)水野分長が入城し、正保 2年(1645年)水野氏が安中へ転封すると再び天領となる。 その後、慶安元年(1648年) 菅沼定実 が7000石で入城して明治維新まで続く。
菅沼定実は居館に近い豊川の畔に桜の木を植え、これが 桜淵公園 の始まりという。
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(3)新城小学校の運動場が当時の本丸だったという

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(8)奥平信昌が新城城を築城して長篠城から移り住んだ

(9)2023年2月25日撮影

(10)新城の地名発祥の地

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