山本信供戦死之地  新城市大海字下林
山本勘蔵信供は、弘治2年(1556) 山本勘介晴幸の子として山梨県高根で生まれた。
天正3年(1575年)5月、設楽原の戦いで武田勝頼 に従って出陣し高坂昌澄らと共に 長篠城 監視隊として寒挟川沿いに布陣していたが、武田軍の総崩れともに 勝楽寺 前で20才の若さで討ち死。
山本信供の墓 は、川路地区と、黒田地区にある。
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【 2013年10月12日更新 】

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