周林の碑 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 昔のことであった。海老の町へ用たしに行った山中の青年が、日暮れ時に山中部落近くの峠まで帰ってきた。するとその峠で、顔にふき出ものがし、ぼろぼろになった衣を着たお坊さんに出会ったが、その姿があまりにも哀れであったので気の毒に思い、
「お坊様どこへ行かれるのですか」
と尋ねてみた。するとお坊さんは弱々しい声で、
「わしは関谷周林という者だが、悪い病気にとりつかれたので、村の人達に嫌われて、つい住みなれたお寺を追出されてしまったのだ。それでわしは困ってしまい、あてもなくここまでやって来たのだよ」
と、目に涙を浮べながら、悲しそうに話すのであった。
 青年は、このお坊さんの話を聞きながら、どこか善意のありそうな感じを受けて同情し、
「お坊様、よかったらわしの家まで行って休みませんか」
と話した。するとお坊さんは
「そりゃあありがたいことだが、家の衆にめいわくをかけちゃあ悪いでな」
といって、青年の申し出にちゅうちょしたが。
「お坊様、その体の具合いじゃあ、早く休まにゃあいけませんよ。遠慮せんでどうぞどうぞ」
とすすめたので、
「ありがとう、ありがとう。それじゃあお言葉に甘えて」
と言って、青年の家へいっしょに行って休ませてもらった。
 青年は、お坊さんを休ませると早々に、庄屋さんのところへ出かけて行き、このお坊さんのことを話して相談をした。庄屋さんも大変同情し、部落の人達にはからって村中みんなで世話をしてあげることになった。
 周休は、この山中の人達の手厚い看護を受け、しやわせな病床生活を送っていたが、ある日、急に病気が悪化してきた。この時、林周は村の人達に向って、
「わしは山中の衆に大変お世話になり、ありがたく思っています。ついては、お世話になったお礼に、この部落がいつまでも平和に栄えるように、白水を流し続け、あの世からお守りする覚悟です。」
といいながら、静かに永眠していった。
 その後、村の人達は周林の供養のために、峠の近くに碑をたて祭り、彼岸には村中の人が出て念仏をあげ、丁重に供養し続けている。
 また周林が流す白水のおかげか、山中の部落は裕福に栄え、平和な部落となっている。

鳳来の伝説(鳳来町文化協会発行)より引用


山中峠

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