寺脇城址  北設楽郡設楽町東納庫上貝津 町指定史跡
築城時期は定かではないが、永正年間(1504~21年)から始まる名倉奥平氏は、作手 奥平貞次 を祖とし、寺脇城はその本拠地として機能しており、城主は後藤弾正。 その後、二代目の奥平喜八郎信光(後の戸田加賀守信光)は徳川家康の配下として津具方面で武田勝頼と戦い、 関ヶ原の戦いの後、慶長7年(1602年)、家康の四男松平忠吉に従って清洲城に移る。 この 名倉奥平氏の墓 は、ここより少し北方の川口津島神社脇にある。
国道257号、名倉郵便局から北上した下林バス停の所を右折し、1Km程行った集落の左手に2つのカーブミラーと案内標識がある。
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【 2013年04月05日撮影 】

(1)寺脇城の遠景

(2)カーブミラーの所を左に入る。角に標識がある

(3)ここを進んで行く

(4)突き当りを左へ入る

(5)案内標識がある

(6)山の中に入って行く・・・

(7)どんどん進む・・・

(8)ここを登るが、杉の落ち葉に足を取られるので注意・・・・

(9)更に奥に進むと・・・

(10)祠が見えてくる。 その左手には案内標識が・・・・

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