大力お姫様 前のページへ戻る   HOMEへ戻る 
                                                       
 田原城主になられた、三宅の殿様のごせんぞは、代々、大力で有名でした。中でも三代康盛公は、特に力が強かったと伝えられています。
 この大力が女子に伝われば、そこで終わりになるといわれていました。一代おいて五代康雄公の姫に伝わりました。
 この姫は、体も大きく、気性も男まさりで、なみなみならぬ力持ちでした。母はいつも心配して、
「どんなことがあっても、あなたの力を、外にだしてはなりませぬぞ。」
 と、いいきかせていました。でも姫にはそれが不満でなりません。
 或る時、城中で家来たちが、武具の入った大きな箱を、動かすのに因っていたので、つい手をだして、かるがる持ち上げて、はこんでやりました。
「まっ、姫様、もったいない。だがどうして、こんな重い箱を。」
 家来たちはびっくり。城中にこのうわさがひろがりだしたので、母は、こんなうわさがひろがれば、お嫁にもゆけなくなると、ますます心配です。
「姫、いつもいいきかせているではありませんか。そなたの大力、使ってはなりませんと。」
「でも家来達が困っていましたから。」
「いくら困っていても、手出しはなりませぬ。」
「ほんのちょっと、箱を動かしただけです。」
「それがいけません。」
姫には、母のいうことがわかりません。なぜ、ちょっと重い物を持ち上げたくらいで、こんなにしかられるのか。くやしくて、くやしくて、そばの火鉢にさしてあった鉄の火ばしを、両手に持って、なきながらさすっているうちに、つい力が入って、その火ばしを、縄のようによってしまいました。
「そらおそろしき娘よな。」
 母は青くなったといわれています。
 またのとき、侍女のなにやらの過失をおこって、その髪を引っぱって、庭まで引きずっていきました。
「どうかお許しください。」
泣き叫ぶ侍女の長い髪の毛を、庭においてあった、石の手洗い鉢を、ひょいと持ちあげて、
「今後のいましめにせよ。」
と髪の上におろして、下じきにしてしまいました。その手洗い鉢は、八百貫(約3トン)もある大きなものでした。
 この手洗い鉢は、今も巴江神社の境内にあります。いい伝えどおり、この大力はこの姫の後には現れませんでした。

「もと」ばあちゃんのおはなし(田原市教育委員会)より引用 


巴江神社と手洗い鉢

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