首切り地蔵 前のページへ戻る   表紙へ戻る 

(前略)
 昔、上伝馬に藤三郎という人かいました。その人の妻は心がけが優しく、また、姿かたちも美しく目だつほどの人でした。藤三郎夫婦の仲はよく、人がうらやむほどでした。夫婦の間には2人の子供がいました。その2人の子供の将来を楽しみに、夫婦は、それはそれは楽しく暮していました。
 ところが、ある夜、藤三郎の家から火を出して、その火のために上の子供を失ってしまいました。夫婦は自分の家から出火したことでもあり、世間の目もあるので、子供の野辺の送りを涙ながらやっと終らせ、家も粗末な小屋を建てなおし、ひっそりと暮していました。そうしているうちに、2人目の子供も、また病気になり死んでしまいました。
 たびたびの不幸に、夫婦の悲しみようは言葉では言いようがないほどでした。特に、妻などは、死んで子供のところへ行きたいと今にも自殺しそうな様子なので、その家に来ていた人々が慰めた結果やっとおさまったというありさまでした。その後、子供の野辺の送りを涙をおさえ、やっとのことですませました。
 さて、妻の方は、日頃信心している小池潮音寺の観世音(潮満観音)に子供2人の菩提を祭り、夜ごと参詣していました。妻の祈願の内容も、2人の子供の追福を祈ると共に、できることなら子供を新たに授けて下さいということでした。そのお祈りの様子も、普通ではありませんでした。夫の藤三郎は妻が風の日も、雨の日も、暗い日もどんな日にも出かけるので、疑いをいだきました。そこである夜、ひそかにあとをつけ、潮満観音に彼女が参詣するのを確かめ、さらにその帰り道をつけていました。すると、妻が地蔵庵に立ち寄りました。
 地蔵堂の中には妻を待つ怪しい人影が見えました。藤三郎は自分を裏切った不貞の妻と、愛する妻を自分から奪った憎い男を一刀両断にしてしまいました。斬っておいて無我夢中でわが家へ急いで帰って来た彼が、その時の手応えによってあの憎い2人が鮮血に染まり折り重なっているむごたらしい姿を想像しながら、仕返しをしおえた快さに満足していました。
 すると、ことことと、玄関の戸をたたく音と共に妻の声が聞こえてきました。不思議なこともあるものだと思いながら、妻を家の中に入れ、様子を聞いてみましたところ、
 「今晩はどうも胸騒ぎがして気分がすっきりしなかったが、潮満へ参詣し終り、中柴の地蔵尊を帰りの途中におまいりをしていたところ、何者かに竹のつえのような物でなぐられ、そのまま気が遠く互ってしまいましたが、しばらくしてやっと人心地がつきましたので、ただ今、家へ帰って来たというわけです。」
 と語りました。
 藤三郎はますます不思議がり、これは世間に普通あることではないと気付きました。そこで、妻を連れて中柴の地蔵庵へ駆け付けました。地蔵庵に着いて、中に入ってみますと、そこにお祭りしてあるはずの地蔵尊の首だけがなくなっていました。
 この奇怪なようすを目のあたりにした藤三郎は、自分の心がいやしいがために妻を疑った自分を恥かLく思い、妻の身代りに立ってくれた地蔵尊のありがたさを肝に銘じて、夫婦の信心がいよいよ堅固になりました。これより藤三郎を人呼んで石切藤三郎と言いました。この首のない地蔵尊は下地町永福寺に安置されていました。
(後略)

豊橋のむかしばなし(豊橋市立中学校国語部発行)より引用 


永福寺と首切り地蔵

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