観音橋と馬頭観音 前のページへ戻る   表紙へ戻る

 県道富岡、一宮線が豊津で旧松原用水を越える橋を観音橋といい、その橋のたもとに馬頭観音が祀ってある。往時からこの地帯には水田が少く、従而堆肥の原料には非常に苦労し、とくに草の獲得の為には本宮山麓は勿論のこと、遠く新城市市川方面までも草刈に出かけたと云う、そしてその運搬の主役は馬であり、殆んどの農家に馬が飼はれ、馬に対する農民の愛情は家族同様であって、その心情が馬頭観音としてお祀りするに至ったものであろうか。年代は不明であるがこの馬頭観音は、旧松原用水より稍々西寄りを流れて居た小松川と云う、小さな川の橋のたもとに安置された、それが為にこの橋を観音橋とよぶようになったのであろう。明治末期頃まではこのあたり一体殆んど檜林であり、毎年旧歴7月18日には盛大な供養祭が行なはれ、近郷近在からの参拝者で大変な賑いであり、露天商が軒を並べた程であったと云う。
 併し時代は流れて営農方式も変り、馬を飼う農家も少くなり、お祭りも淋しくなったので、この観音様を日下部の全昌寺へお移し申し上げようと云う事になった、全昌寺は慶長時代からのお寺で、境内八丁四方と云われた程の大きな寺であったが、この寺へ観音様を移したところ、其の後毎夜のように観音様が夢枕にたち、元の所へ帰りたいと云はれるので、それではまた元の所へお移ししょうと云う事になり、再び観音橋のたもとへ安置して現在に至って居るのだと云う。

一宮町むか志ばなし(一宮町若返大学発行)より引用 


馬頭観音

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