長沢城(長沢古城)跡  豊川市長沢町古城
室町時代の長禄2年(1458年)、松平宗家3代信光の子 松平親則 が築き、岡崎市岩津より移り住み、長沢松平家の祖となる。
7代政忠は「桶狭間の戦い」で討死。8代康忠は家康の妹矢田姫を妻とし、その後、「長篠の戦い」、「小牧、長久手の戦い」、「小田原城攻め」に参戦し、天正18年(1590年)家康関東移封に伴い、武蔵国へ下る。 矢田姫の屋敷は長沢城の東にあり、矢田姫の墓は岡崎市の法蔵寺にある。
現在は国道一号線、名鉄電車によって分断され、城址の面影はないが、「古城」と云う字名が残っている。
国道1号線を挟んだ向かい側には、長沢城の出曲輪だっという  観音堂城跡 がある。
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【 2018年01月21日撮影 】

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(5)国道の反対側、長沢小学校の脇

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