[ 国府高等学校 ]


大正12年 国府高等女学校の正門
(中日新聞社発行 [写真集 愛知百年]より)

昭和36年以前の入り口

渡り廊下

自転車置き場

新築当初の校舎(昭和36年)

自転車置き場のあった所も、新築校舎が・・・

当時の国道一号線より校舎を望む

左の写真と同じアングルから見た昭和初期の国府高校(当時の高等女学校)。その奥の山が弘法山
国道一号線(旧東海道)は松並木が残り、道は当然、舗装されていない・・・

国府高校(当時の高等女学校)は、大正〜昭和初期、弘法山にあった。
現在の弘法山広場(野球場)は、弘法山校舎のグラウンド・・・、
そこで行われた大正11年、第一回運動会。

高等女学校の学生達による畑仕事?
当時の学校には、畑があった?
食糧難の時代かも・・・・・

昭和12年、運動会の日には、学校の前に屋台がズラリと並ぶ。当時の運動会は、町を挙げての一大イベント。 運動会の日に屋台が並ぶのは、昭和の中頃まで続く。
今では、「国府市」と「国府祭り」にしか屋台はお目見えしない。
いつ頃の写真か不明だが、学校の周りには何も無い。

昭和22年、郷土の作曲家「山口 保治」 指揮による国府高等女学校音楽部合唱会

(桜ヶ丘ミュージアム「山口 保治」より)

2005年7月5日 愛知万博 「豊川の日」 に、国府高校から320人が出演、合唱で会場いっぱいに若いハーモニーを響かせた。
(豊川市議会会派 新風会 提供)

2008年10月5日 信楽会主催の「GO WEST」で演奏する吹奏楽部。
於 音羽川 西部中学校横
(信楽会 提供)
 
大正 9年(1920年)
昭和23年(1948年)
昭和36年(1961年)
昭和50年(1975年)
宝飯郡高等女学校として設立。
愛知県立国府高等学校と改称。
現在の校舎新築。
第57回全国高等学校野球選手権大会(甲子園)に出場。
校歌 (作詞 丸山  薫、 作曲 山田昌弘)

1、若人の歌にさかえよ  穂の国のひろき裾原(すそはら)
  みどり映(は)ゆまなびの園に  湧きて汲む真理の泉
  いざ3年 3年をきそい  育みゆかん自由われら
  国府よ  国府なるわが母校

2、撞く鐘に揺れて匂えよ  ふるさとの花ある歴史
  昧爽染(あけそ)むる時代の幸に  きらめくは倫理の新星
  ああ 仰ぎ 仰ぎて友と  打ち建てゆかん慧智(えいち)日本
  国府よ 国府なるわが母校

国府高等学校のホームページ

大正 9年(1920年) 両国国技館が開館し、日立製作所が設立される。
大正11年(1922年) ちぎり絵の山下清誕生(3月10日)。
大正12年(1923年) 関東大震災(9月1日)
作家の池波正太郎(1月25日)、将棋名人の大山康晴(3月13日)、直木賞作家の遠藤周作(3月27日)
作家の司馬遼太郎(8月7日)、俳優の根上淳(9月20日)が誕生。
昭和23年(1948年) 演歌歌手 都はるみ が誕生し、美空ひばりが歌手デビューする。
昭和36年(1961年) 世界初のソ連有人宇宙衛星が打ち上げられ、飛行士のガガーリン少佐が「地球は青かった」と報告。
大関柏戸と大鵬が横綱に昇進。
昭和37年(1962年) このサイトの管理人が卒業。
昭和50年(1975年) 「欽ちゃんのドンとやってみよう」がTV放映開始。
第57回全国高等学校野球選手権大会 盛岡商、秋田商、仙台育英、早稲田実、東海大相模、浜松商、中京商、天理、岡山東商、広島商、鹿児島商など38校が出場し、習志野高校が優勝、新居浜高校が準優勝となる。

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