洞雲寺・森の石松の墓  新城市富岡半原田60
清水の次郎長 の子分であり、大政小政とともに活躍した 森の石松 は、浜松の都鳥一家のだまし討ちにあい、文久2年 37歳で没。 一緒にいた弟の庄治朗が石松の遺体を馬につけ、故郷の洞雲寺に運んで葬ったという。
墓はお寺の前の道を右に進み、すぐの角を北上するともう一つの墓所があり、石松の墓はここにある。 そして、同じ墓地の中には、中村メイコの墓 が出来ている。 近くには、森の石松が生まれたという生家跡 がある。
洞雲寺は真言宗の寺院で、山号は松陽山。 三河准四国八十八ヶ所9番霊場東三河四郡弘法大師88番霊場
このページを印刷   前のページへ戻る   表紙へ戻る
 

(1)

(2) 写真をクリックすると拡大表示されます

(3)

(4)

(5)

(6)

(7)

(8)

(9)

(10)

(11)

(12)森の石松の墓はここにある

(13)

(14)森の石松の生家跡

このページのコメントを送る   前のページへ戻る   表紙へ戻る   このページのトップへ


無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます