奥平出雲守貞盛の墓(和田の宝篋印塔)  新城市作手保永エマツ
作手奥平宗家初代で 亀山城 を築いた奥平貞俊の次男 奥平出雲守貞盛の墓で、宝篋印塔は室町時代に建立されたものと推測されている。
貞盛は和田奥平氏と呼ばれ、2代貞寄、3代勝次と続いて岩波城を守る。
墓は国道301号を北上し、和田のバス停の手前左手にチラッと見える墓地の一番奥にある。
2代 奥平出雲守貞寄の墓 は岩波地区にある。
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(1)ここを入って、小屋の手前を左に入る

(2)ここを登っていくとすぐにある

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