奥平虎之助の墓・奥平虎之助処刑地  新城市門谷万寿
奥平虎之助(13歳)は 萩城奥平周防勝次 の次男で、元亀2年(1571年) 作手 亀山城奥平貞能 と長男貞昌(後の 長篠城奥平信昌) が武田信玄に降伏した時、貞能の次男 仙千代(10歳)、日近城主奥平貞友の娘 於フウ(13歳)と共に人質として甲斐に送られた。
天正元年(1573年) 4月 武田信玄が病死すると、奥平貞能は再び徳川氏に帰参したため、激怒した武田勝頼 は、9月21日、山県昌景 に命じて奥平氏の人質を処刑した。 この時 虎之助 16歳、仙千代 13歳、於フウ 16歳の若さだった。
仙千代の墓 は鳳来寺参道入り口にあり、於フウの墓 は鳳来寺参道入り口から少し北に進んだ鳳来寺小学校の手前左にある。
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【 2016年04月12日更新 】

(1)県道32号の消防署の手前を右に入る道路脇に幟が立っている。

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(3)

(4)

(5)実際の墓はこの山の上にある。

(6)民家の前を進んで左手の突き当たりに登り口がある。

(7)ここから登って行く。

(8)

(9)この左下は写真(5)の道路

(10)

(11)登り切った所に幟が見える。

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(13)虎之助の墓

(14)虎之助処刑の地

(15)

(16)下に消防署が見える。

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