大輪の弁天様  新城市連合一色平
長篠の戦 の時、城の危急を 徳川家康 に知らせるため、鳥居強右衛門勝商 は豊川に飛び込んで武田軍の囲みを破り、雁望山 に「援軍釆たる」の狼煙を上げ、味方の大勝利となる。
長篠城奥平貞昌 は、この度の成功は日頃信仰している弁天様のおかげであると思い、豊川で第一の勝景の地である大輪の川中の岩山に社を建てて祭ったのが、「大輪の弁天様」だという。 鳳来の伝説「大輪の弁天様」より
以前は、岩山の上に鳥居が見えたような記憶があるが、この日は草木に覆われて見えないのだろうか?
このページを印刷   前のページへ戻る   表紙へ戻る
【 2021年07月25日撮影 】

(1)大輪橋から大岩を望む

(2)

(3)

(4)

このページのコメントを送る   前のページへ戻る   表紙へ戻る   このページのトップへ


無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます