白岩温泉 前のページへ戻る   HOMEへ戻る

 能登瀬小学校の下の字連川の左岸に、こんこんと湯水をわき出している白岩温泉がある。この温泉は今から1180年もの昔(桓武天皇が都を京都に移されたころ)、ある村人が夢のお告げによって発見したものである。
 発見当時は温度も高く含有物質も豊富で諸病によく効いたので、利用者が相当あったが、途中で一時出なくなった。しかし、富士山の中腹にできた宝永山の爆発の時の大地震によって、再び温泉がわき出し、遠近から多数の客が湯治にくるようになった。そこで、この温泉付近の民家では、百姓と兼業の簡易温泉旅館(民宿)を経営した。その全盛期には20軒余も立ち並んだが、今もその当時の面影を残している農家がある。
 浴客の中にはいろいろな人があった。長篠の合戦の時には負傷した武士が多数湯治にやってきた。またある時にはすばらしい体の大きい豪力な武士がやってきた。この武士は村人たちの希望にこたえ、米俵2俵を持ってこさせ、1俵ずつ左右の足に締付け、下駄の代りにしてゆうゆうと歩いてみせた。村人たちはその豪力ぶりに目を見張ったという。

鳳来町誌民族資料編(南設楽郡鳳来町発行)より引用


白岩温泉

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