武田勝頼戦地本陣跡  新城市八束穂
天正3(1575年)年5月19日、武田勝頼 は織田・徳川連合軍との決戦を前に長篠の 医王寺 で軍議を開いた。 多くの忠臣は決戦を回避すべしと進言したが、勝頼は聞き入れず寒狭川を渡ってこの清井田へ進撃し、ここを戦地本陣とした。
21日未明、勝頼は設楽原に向けて総攻撃を命じたが、戦いの結果は武田軍の惨敗に終った。 この近くに死を覚悟で出陣した武将が、水盃を汲みかわしたと伝えられている泉がある。(看板資料より) 
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