東海道を歩こう  豊川市国府町、御油町、音羽町
半僧坊大権現 → 秋葉山常夜灯 → 御油一里塚 → 御油の追分 → 高札場跡 → 問屋場跡 → 旅人留女 → 御油本陣跡 → 松並木標識 → 赤坂本陣跡 →
よらまい館 → 赤坂宿公園 → 赤坂陣屋跡 → 東見附跡 → 長沢一里塚 → 長沢城跡
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PHOTO-1  <場所はココ>

半僧坊大権現
浜松市引佐にある奥山半僧坊(方広寺)に因んで建てられた?

PHOTO-2  <場所はココ>

秋葉山常夜灯
国府村民が村内を火難から守るために建立

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PHOTO-4  <場所はココ>

御油一里塚
ここは江戸日本橋より76里の地

PHOTO-5  <場所はココ>

PHOTO-6  <場所はココ>

御油の追分
東海道と姫街道の分岐点。
ここから見付宿までの61.4kmが姫街道

PHOTO-7  <場所はココ>

高札場跡
幕府が民衆を統制するため宿場の中でも人通りの多い場所に立てられた

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PHOTO-9  <場所はココ>

問屋場跡(人馬継所跡)
宿場で人馬の継立や飛脚業務などを行う重要な場所

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PHOTO-11  <場所はココ>

旅人留女(たびびととめおんな)
腕ずくで旅人を奪い合う宿の女たちを描いた広重の絵

御油や赤坂、吉田がなけりゃ
なんのよしみに 江戸通い
(流行歌)

飯盛り女の菩提を弔った墓は、東林寺 にある

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PHOTO-13  <場所はココ>

御油本陣跡
御油宿で大名や幕府役人等が宿泊した公認の宿舎で、4つの本陣があった
  林五郎太夫
  中村谷十郎
  鈴木半左衛門
  橘屋弥左衛門

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PHOTO-12の「旅人留女」 では、本陣数は4軒とある。 どっちが正しい?

PHOTO-15  <場所はココ>

松並木標識
御油の松並木を過ぎると赤坂宿に入る

PHOTO-16  <場所はココ>

御関札立掛場跡

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PHOTO-18  <場所はココ>

赤坂本陣跡
赤坂宿で大名や幕府役人等が宿泊した公認の宿舎

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PHOTO-20  <場所はココ>

よらまい館
江戸時代をイメージした昔風の建物。トイレもあり、無料で休憩できる場所。

PHOTO-21  <場所はココ>

赤坂宿公園
江戸時代の灯篭や籠のモニュメントで赤坂宿の町並みや祭礼などを紹介

PHOTO-22  <場所はココ>

赤坂陣屋跡

赤坂宿の代官所で、年貢の徴収や訴訟などを扱っていた

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PHOTO-24  <場所はココ>

東見附跡
宿場の入り口に石垣などを積み出入りする者を見張った場所

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PHOTO-26  <場所はココ>

長沢一里塚
ここは江戸日本橋より77里の地

PHOTO-27  <場所はココ>

長沢城跡
松平宗家3代信光の子親則が築き、長沢松平家の祖となる

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