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曹洞宗の寺院で、山号は呑海山、三河准四国八十八ヶ所51番霊場、東三新四国八十八ヶ所53番霊場、穂の国三十三観音10番霊場。 永正5年(1508) 将軍足利義澄 が創建。 当初はささやかな小庵にすぎなかったが、後にこの地の領主松平長三郎忠高によって諸堂が造営され、法住寺と改められた。 松平忠高の墓は、本堂裏の墓地の一角にある。 ちなみに、忠高の妻は、吉良上野介義央 の父の妹とか・・・ 毎月17日の観音様命日には千手観音菩薩が拝観でき、参道から観音堂周辺には多くの露店も並び、沢山の参拝者でにぎわう。
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