西明寺・山本勘助の墓   豊川市八幡町寺前7
禅宗の寺院で、山号は大宝山、三河准四国八十八ヶ所霊場
寛和2年(986年)三河守大江定基が愛妾力寿姫 を失い、世の無常を感じて仏門に入り、京都如意輪寺の寂心を師として名を寂昭と改めた。その後、比叡山 に登り源信僧都の教を受けた後、大宝山の山麓に草庵を結び六光寺とし、天台宗弘道の傍から力寿の冥福を祈ったのが西明寺のはじまりといわれている。
境内には山本勘助晴幸の兄の子孫が、勘助の追善供養のために建立した墓がある。 
 力寿姫の物語
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【 2014年06月19日更新 】
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西明寺入口

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徳川家康から西の一字をもらい西明寺となる。
境内のいたる所にこのような紋が・・・・

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本堂

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日独交流の菩提樹

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ベルツ水で有名なドイツ人医師エルウィン・フォン・ベルツ博士の妻であるハナ(荒井花子)がベルツ死後ドイツより帰国し夫と娘のために供養塔を建てる。
「菊にほふ国に大医の名をとどむ」
水原秋桜子

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境内には山本勘助晴幸の兄の子孫が、勘助の追善供養のために建立した墓がある。

山本勘助の墓は、長谷寺 にもある。

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