大聖寺・一色刑部少輔時家の墓    豊川市牛久保町岸組66
永享10年(1438年)鎌倉公方足利持氏 と将軍足利義教 との抗争から永享の乱が起き、当時の三河の守護一色義範が持氏側に加担したと思われ討伐された。
このとき一族の 一色刑部少輔時家 は鎌倉を逃れ、三河国長山に 一色城 を築き、下長山・牛久保など現在の豊川市一帯を支配したが、文明9年(1477年)家臣の 波田野全慶 に殺害される。
一色刑部の墓の横には、今川義元の墓 がある。
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【 2014年02月25日更新 】

(1)大聖寺

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(5) 右は今川義元の墓

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