三河国分寺跡
豊川市八幡町本郷68
国指定史跡
国分寺は、奈良時代中頃、天平13年(741年)、第45代聖武天皇の詔(みことのり)をうけて全国に建立された寺で、僧20人を置くことが定められていた。三河国においては国府(こくふ)に近いこの八幡台地上に国分寺の七堂伽藍が築かれ、学問修業とともに国家鎮護の祈願が行われた。
本堂右手にある無名の梵鐘は、三河国分寺創建当時のもので、全国的にも珍らしく貴重な名鐘。 源平兵乱の頃、武蔵坊弁慶 が陣鐘にしたために、乳が欠けたという話が語り伝えられている。
また、国分寺の瓦を焼いたという
古窯跡
は、
赤塚山公園
内にある。
このページを印刷
前のページへ戻る
表紙へ戻る
【 2016年09月03日更新 】
(1)
(2)
(3)写真をクリックすると拡大表示されます
(4)
(5)
(6)写真をクリックすると拡大表示されます
(7)
(8)
(9)写真をクリックすると拡大表示されます
(10)写真をクリックすると拡大表示されます
このページのコメントを送る
前のページへ戻る
表紙へ戻る
このページのトップへ
無断で当サイトの写真・地図の複製を禁じます