平野源蔵・竹本庄右衛門の墓  豊川市御津町広石越川
昔、山から薪炭やまぐさ、木材などを採集する権利のことで、金割・灰野両村と広石・西方など九ヶ村の間で争いが起こり、広石村の庄屋 平野源蔵と、組頭の竹本庄右衛門の二氏は九ヶ村代表として金割・灰野側と対抗。 当時の代官で、八幡町の八幡大池 や一宮町の東上分一番所 を造った鈴木八右衛門に直訴して重罪となり、寛文9年(1669年)10月8日、現在の座王神社前で打首の刑に処せられた。 その後、明治27年(1894年)に共有山を各村に分割する盟約が結ばれ、この問題は解決したという。 二人の墓は広石の大日墓地にあり、座王神社前には明治27年(1894年)に建立された 共有山分割記念碑 が残され、昭和58年(1983年)には、御津神社に義人 平野源蔵・竹本庄右衛門顕彰碑が建てられている。
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【 2017年05月02日撮影 】

(1) 大日墓地

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(3) 平野源蔵・竹本庄右衛門の墓

(4) 共有山分割記念碑

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