高膳寺・高膳寺の筆塚   豊川市国府町中道1
曹洞宗の寺院で、山号は天神山、天保のころから明治初年まで寺子屋が置かれていたという。 天保11年(1840)、寺子屋で教えを受けた筆子(生徒)たち120人が、亡くなった師匠の供養のために建てた高さ2m、幅50cm程の自然石の筆塚があり、次の歌が刻まれている。
    『世の中を月雪花に暇して 乗り得て帰る般若会の舟』  亮眉(りょうき)
また、遠江国(静岡県)相良城主・田沼意次( おきつぐ )が老中であった間(1772−1786)、国府村の田沼陣屋があった所で、その時の田沼領界を示すために立てた「従是南、相良領」と書かれた石碑があります。 この時の田沼陣屋の石垣は、現在の 大社神社 の石垣に使われているという。
相良城   田沼意次 詳しい地図はここをクリック   一つ前へ戻る   HOMEへ戻る
従是、相良領

本堂と墓地との間の中庭にある
田沼領界を示す石柱。
高さ1.4m 幅30cm程。
   「従是、相良領」

石柱は、弘法山 の入口にある。


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(5) 十王堂

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(7) 田沼稲荷

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(9) 国府天神

(10) 筆塚

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